2017年12月30日土曜日

2017年の梅ヶ島温泉を振り返って

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

いよいよ明日は大晦日。今年も残り2日となりました。

そこで、平成29年、2017年の梅ヶ島温泉公式サイトを振り返ります。

2017年
1月 安倍の大滝ハイキングコースが復旧しました。
2月 今年は雪が少ないというお知らせをしました。
4月 『濃い金運キャンペーン パート1』が始まりました。
5月 環境省により、国民保養温泉地に指定されました。
6月 安倍峠のシロヤシオツツジが? 今年は咲かなかったようでした。
7月 「将来の課題のための日・オーストリア委員会」のオーストリアの皆さんが見えました。
8月 『濃い金運キャンペーン パート1』の当選者が決まりました。『濃い金運キャンペーン パート2』が始まりました。
9月 〜 今年の夏と秋は台風の影響なし。
10月 テレビ朝日『帰れまサンデー』が梅ヶ島を特集してくださいました。
11月 今年も赤水の滝ライトアップが行われました。
12月 『濃い金運キャンペーン パート2』の当選者が決まりました。


2017年5月15日 全国温泉地サミットにて
国民保養温泉地指定式が行われました

2017年12月29日金曜日

冬の山々の美しさ

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


山々は枯れ葉が散って、すっかり冬らしくなっていますが、春を待つ木々はしっかりと芽をつけて、赤く色づいた枝が冬ならではの美しさを見せてくれています。

春の山桜、夏の新緑、秋の紅葉、いつも美しい山々ですが、冬の山の美しさに魅了されてしまう人も多いですね。これを書いている私もそのひとりです。

温暖な静岡市の中心部から車で1時間半、新東名高速道路なら新静岡インターチェンジから約1時間。秘境なのに交通も便利な梅ヶ島温泉へ、是非おいでください!
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2017年12月28日木曜日

季刊『温泉』2017年冬号

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


一般社団法人日本温泉協会発行の季刊『温泉』2017年冬号です。

この中で、国民保養温泉地の紹介第2回として、清流の都・静岡市の水源地にある「信玄の隠し湯」として、梅ヶ島温泉郷を紹介してくださっています。

一緒に紹介されているのは、奈良県の十津川温泉郷、山口県の俵山温泉、群馬県の湯宿・川古・法師温泉郷です。是非全部行ってみたいですね!

2017年12月27日水曜日

路面凍結注意

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


こちら静岡市は晴天に恵まれていますが、冬は本番です。

梅ヶ島温泉への県道29号線も、日陰になる道路では凍結することもあり、写真のように塩化カルシウムを撒いています。

カーブでのスピードの出し過ぎはスリップ事故の原因になりますので、くれぐれも注意して、安全運転でおいでください。

2017年12月26日火曜日

お猿の写真

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


梅ヶ島温泉に来られる時に、みなさんがよく目にするお猿さんです。

山々に住んでいて、よく県道の方まで下りてきますが、車を停めて窓を開けたりするとすぐ逃げていきます。

きょうは窓を開けずに車のガラス越しに写真が撮れました。

場所は、釣り堀やっちゃんの近くです。
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2017年12月19日火曜日

梅ヶ島の金山と温泉の起源について

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


大正2年(西暦1913年)に編集された『安倍郡梅ヶ島村誌』より、梅ヶ島の金山の起源についての記述があるので、以下に原文を読みやすくしてご紹介します。

本村字関之沢なる旧家秋山英一郎氏方所蔵明和二年(西暦1765年)七月(大正元年より百四十八年前)時の郡代小田切新五郎様御役所宛として仝(同)家の祖名主儀兵衛外百姓代二名組頭等の連署を以て差出したる「梅ヶ島村御金山申伝之覚」(写しならん)なるものあり。
其前文に左の如き一節あり、
駿州安倍郡梅ヶ島村御金山の儀者仁皇十七代豫に仁徳天皇の時
黄金献候由申伝使 右の後延喜二年(西暦902年)黄金出申候由申伝候又候
中絶仕候各享禄年中(西暦1528年から1531年)御山繁昌仕此節を元栄と申伝候云々
(以上『安倍郡梅ヶ島村誌』大正2年)

ここにやはり、第16代天皇とされる仁徳天皇の時に梅ヶ島から金を献上したとあります。仁徳天皇は西暦でいうと3世紀から4世紀の人です。このころには梅ヶ島の温泉も発見されていたはずだという推測が、「1700年の歴史ある梅ヶ島温泉」の根拠となっています。

原典は、梅ヶ島本村字関の沢の秋山さんのお宅に所蔵されている明和二年(西暦1765年)の金山に関わる記録の写しだそうです。
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2017年12月12日火曜日

昔あったという迷信のこと

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


大正2年(1913年)に靜岡縣安倍郡梅ヶ島村役場が編集した『安倍郡梅ヶ島村誌』より、かつて梅ヶ島温泉にあったという迷信についての記述があったので、ご紹介します。

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良純親王を梅ヶ島温泉に招いたという蛇を祀って「三蛇権現」湯之神社が立てられたことからもわかるように、今から40年前、つまり明治6年ごろまでは温泉浴室がまだ不完全で、梅ヶ島温泉には四季を通じて蛇が多く生息していた。それも「不浄」の期間中の者が入浴するときは、浴室はもちろん、お湯の中にまでたくさんの蛇が来て、人々を驚かせたといい伝えられている。
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現代の梅ヶ島温泉では、平野部を含めた他の地域に比べて特別蛇を多く見かけるなどということもありません。どうかご安心の上おいでください。

2017年12月10日日曜日

大正2年の『安倍郡梅ヶ島村誌』

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


静岡県立図書館所蔵の『安倍郡梅ヶ島村誌』の最初のページです。

これは、大正2年(1913年)に靜岡縣安倍郡梅ヶ島村役場により編集された原本を複写して製本したもので、原本もこの複写本も、静岡県立図書館に所蔵されています。

静岡県立図書館は、現在耐震強度の問題が発覚して利用できなくなっていますが、静岡市立図書館を通して、この複写本をお借りすることができました。(静岡市の図書館には、この大事な資料がありません。)

昭和期以降に編集された梅ヶ島に関する書物も、この村誌を参考にしているところがあるようです。

とても読みづらい本ですが、なんとか読み解いてみたいなあと思っています。

2017年12月9日土曜日

冬こそ梅ヶ島温泉です。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


紅葉が終わったおゆのふるさと公園です。葉が落ちて湯滝がよく見えますよ。

冷えてくると、ぽかぽかの温泉が一層うれしいですね。

冬の梅ヶ島温泉へ、是非泊まりにおいでください。

2017年12月7日木曜日

いよいよ冬ですね〜。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。



昨日ですが、朝の気温は氷点下、写真は県道ではなく脇道の林道ですが、雪が薄っすらと積もったところがありました。

梅ヶ島温泉への道路の雪は、たいていはすぐに溶けてしまったり、すぐに除雪されたりしますので、車で来られないということはあまりありません。

それでもこれからの季節、路面が凍結することもないとはいえませんので、どうか皆さん、安全運転で気をつけておいでください。

2017年12月5日火曜日

『濃い金運キャンペーン 2017年パート2』抽選会

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。



『濃い金運キャンペーン 2017年パート2』にもたくさんのご応募をいただき、本当にありがとうございました。

昨日12月4日にはその抽選会が行われ、本年2回めの当選者が決定いたしました。

当選された方には、豪華賞品と梅ヶ島温泉へのご招待。直接ご連絡をさしあげます。

2017年12月4日月曜日

梅ヶ島温泉湯之神社と良純入道親王

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


ここ梅ヶ島温泉に、三蛇権現湯之神社を建てたのが良純入道親王。「良純」は「りょうじゅん」と読み、「入道親王」というのは出家して仏門に入った親王の称号です。

慶長8年(1604年)に後陽成天皇の第八皇子として生まれて「八宮」とも呼ばれ、慶長19年(1614年)に「直輔親王」と名乗られ、翌年の元和元年(1615年)に満11歳で徳川家康公の猶子となられました。猶子というのは、親子関係を結ぶ制度による養子のことです。

良純親王は、5歳の時にすでに知恩院に門跡(始祖を継承する僧侶)となるために住まわれましたが、出家はせず、家康公が薨去(逝去)されて後の元和5年(1619年)になってから出家し、「良純」と名乗られるようになりました。

それから24年後の寛永20年(1643年)、甲斐国天目山棲雲寺(山梨県甲州市大和町にあるお寺)に流されてしまいました。(病気療養であったという説もあります。)

万治2年(1659年)の勅許によって京都へ帰るまでの約16年間を甲州で過ごしましたが、京都から棲雲寺に来て3年ほどの正保2年(1646年)初夏のころ、西の方に霊泉ありという夢のお告げを受けたとのことで、甲州から安倍峠を越えて梅ヶ島温泉に向かわれたそうです。

棲雲寺は天目山山中の標高約1,000メートルのところにありますので、ここ梅ヶ島温泉とほぼ同じぐらいの標高です。もしそのお告げが事実だったとしたら、同じぐらいの標高の地にあって梅ヶ島温泉へ向かうという霊示を受けたのは、脳に何らかの信号を受信したということだったのかもしれません。

安倍峠まで来られた良純親王は、逆川のほとりで三匹の赤い蛇に出会ったというのが伝説として残っています。

持っていた酒を杯に注いで蛇に差し出すと、蛇はそれを舐め、良純親王を梅ヶ島温泉へと導いたそうです。

伝説では、良純親王は難病を患っておられ、梅ヶ島温泉に入湯して二、三日で痛みがなくなり、十数日で難病が快癒したとされています。

それが評判となり、梅ヶ島温泉は万病に効く奇跡の温泉であるとして有名になったそうです。

(参考:『史話と伝説 梅ヶ島物語』志村孝一編著 昭和57年)

本年5月の記事に補足するものとしてお読みいただければ幸いです。

2017年12月1日金曜日

濃い金運キャンペーン受付が終了しました

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


『濃い金運キャンペーン』へのご応募をありがとうございました。
昨日11月30日まで、たくさんのご応募をいただき、本年のキャンペーンご応募の受付は終了いたしました。

当選された方には、当組合からご連絡さしあげ、梅ヶ島温泉宿泊と賞品贈呈式へのご招待を申し上げます。

2017年11月28日火曜日

富士山も雪化粧

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


写真は静岡市清水区、世界遺産富士山構成資産でもある三保の松原がある三保半島の先端近く「真崎」の浜から先週撮った富士山です。

立冬も過ぎ、富士山もいよいよ雪化粧をして、いよいよ冬・・・といっても、静岡市は温暖で、平野部ではほとんど雪の降ることがありません。雪の少なさでは九州の鹿児島や宮崎も抜いて沖縄県と並ぶほどなんです。

梅ヶ島温泉は標高が約千メートルもありますから雪の積もることもありますが、梅ヶ島温泉へ来たら、美しい富士山の見える静岡市のたくさんのスポットへも是非行ってみてくださいね。

2017年11月27日月曜日

今年の紅葉も終盤です。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


赤水の滝ライトアップも昨日で終わり、梅ヶ島温泉の紅葉もいよいよ終盤となっていますが、きょうも月曜日だというのに、紅葉狩りのお客様が大勢見えました。

写真はきょうのおゆのふるさと公園です。いかがですか? まだまだきれいですね。
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2017年11月23日木曜日

安倍峠の林道 凍結に注意

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

紅葉シーズンもすでにピークを超えて、山々の紅葉もだいぶ散ってきています。

標高約千メートルの梅ヶ島温泉も寒くなってきましたが、安倍峠へ向かう林道では、路面凍結も見られるようになりました。

12月10日までは、林道が通行できることになっていますが、天候や路面の凍結などによって、ゲートが閉まることもあるかもしれません。

2017年11月17日金曜日

テレビの取材

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。




昨日は東京からアニメの声優さんたちが出演するというテレビの取材が梅ヶ島を訪れてくださいました。
魚魚の里での釣りと砂金採り体験。そして、梅ヶ島の歴史についての紹介もさせていただきました。

2017年11月16日木曜日

紅葉のポイントは?

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

梅ヶ島温泉へまだ来られたことのないお客様から、よく聞かれることですが、紅葉はどこで見られるかというお問い合わせがあります。

簡単にご案内すると、この時期、梅ヶ島まで来られれば、紅葉の見えない所はありません。

梅ヶ島全体が紅葉です。

紅葉がないのは、かつて林業が盛んで杉などの植林で覆われた山々です。

安倍川の上流域にも杉が覆っているところがないわけではありませんが、梅ヶ島地区は、ほぼ全体的に自然林ですので、どこからでも、紅葉を大いにお楽しみいただけるのではないかと思います。

2017年11月15日水曜日

梅ヶ島の鹿猟

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


梅ヶ島に関する新しい文献をひとつご紹介します。

財團法人古代學協會が発行した季刊誌『古代文化』2011年3月号に、長谷川豊氏(しずぎんビジネスクリエイト)による論文『長野県湯倉洞窟における縄文時代のシカ猟 ─ 静岡県梅ヶ島のシカ猟をもとに ─』が掲載されています。

縄文時代の狩猟はどのように行われていたかを解明するために、梅ヶ島の山深いところで現在も行われているシカ猟を実地で調査したというのが、その内容です。
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2017年11月13日月曜日

紅葉まっさかり。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


おゆのふるさと公園の紅葉も、今がまっさかりです。

この季節、平日でも混雑しています。

お車で来られる皆さんは、道路が急に細くなるところなどありますので、スピードの出しすぎにご注意ください。

また、のろのろ運転になってしまう!という方は、後ろの車に道を譲ってあげると安心して運転できると思います。

2017年11月9日木曜日

温泉マークのはなし・・・

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


この温泉マークというもの、ご存知のとおり、地図記号です。
「温泉・鉱泉」を表すものとして使用されています。

明治時代の陸軍参謀本部陸地測量部という機関が、大阪方面の測量をおこない、そこで作製した地形図に載ったのが最初だとされていて、さらに5年古い明治12年(1879年)に、内務省地理測量課というところで制定されていたともいいます。

明治12年からだとすると、このマークの歴史は138年ということになりますね。
宇宙の歴史は138億年といいますが・・・あんまり関係ないですか。

以前は、イラスト素材としてこのマークが配布されていたこともありましたが、今は「おんせん」と入力して変換すると出てきたりします。



パソコンの文字にもなってるんですね。
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2017年11月6日月曜日

温泉街の紅葉、そろそろ見頃です。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


梅ヶ島温泉街にある、おゆのふるさと公園です。

かなり色づいてきています。もう見頃と言ってもいいかもしれません。

山々はもうピークです。

安倍峠、大谷崩れなどに行かれる方は、林道の舗装面が必ずしも良好ではなく、落ち葉もいっぱい落ちていますので、どうかくれぐれも運転にお気をつけください。

2017年11月5日日曜日

パワースポット梅ヶ島と安倍川

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

今回も安倍川の豆知識をご紹介します。

安倍川は、西が「ユーラシアプレート」、東が「北米プレート」という、二つの大陸プレートの境界線を流れているといわれています。

「フォッサマグナ」と呼ばれる「中央地溝帯」の西端が「糸魚川静岡構造線」ですが、その南部に沿って流れているんですね。

国交省の資料によると、安倍川の西側と東側とでは、地質も違うんだそうです。

じゃあ地震も? と心配になりますが、糸魚川静岡構造線の南の方は、「活断層データベース」によれば、それほど心配することはないように見えます。

そうはいっても、地震は日本中、いつどこで来るかわかりませんので、備えを怠らないようにしたいものです。

静岡市の観光サイト「しずおか観光情報 駿府静岡市」では、「安倍川や梅ヶ島こそはパワースポットだ!」と紹介しています。そちらも是非、ご覧ください。

2017年11月4日土曜日

安倍川の源流と河口

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


安倍川(濁らないで「あべかわ」と読んでくださいね。)は、急流として知られる静岡市の川ですが、どこからどこまで? というのが、どうやら2通りあるようです。

国交省では、大谷嶺(標高2,000メートル)からということになっていますが、静岡県の標識「安倍川起点」が立っているのは、梅ヶ島温泉街から三段の滝の方へ歩いて行く途中です。ここは標高もせいぜい1,000メートルというところ。

静岡市駿河区の中島と広野の間に、駿河湾へと流れる河口があって、梅ヶ島の源流からの距離は、約50キロメートルです。河口をご覧になりたい方は、左岸(東側)は、中島のテニスコートの駐車場か、大浜公園の駐車場からちょっと歩くお散歩コース、右岸(西側)は、広野の河口堤防に駐車スペースがあって、ほとんど歩かずに、富士山や久能山や伊豆半島なども一緒に河口を望むことができます。

広野の側から見た安倍川の河口

安倍川は大きな川なのに、その全域が静岡市内にあって、途中にダムがないという、珍しい川なのだそうです。(地元民には「珍しい」という実感はありません・・・笑)

清流ですから、お天気が安定していれば、全域がきれいに澄んだ水の流れになります。

2017年11月2日木曜日

安倍川といえば・・・

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


安倍川の源流、梅ヶ島ですが、今回から少し、この安倍川についてもご案内したいと思います。

まず甘いものから。写真は「安倍川餅」です。

ある茶店が家康公に、安倍川の金にちなんで砂金に見立てた金な粉(きなこ)の餅を出したところ、喜ばれて「安倍川餅」になったという伝承があります。

専門に出してくれるお店としては、駿河区の登呂遺跡の西側「もちの家」と、安倍川の土手の近く葵区弥勒というところにある石部屋が有名ですが、家康公に餅をお出しした店というのは残っていません。

登呂遺跡を見物して、芹沢けい介美術館なども見学し、もちの家で食事というのもおすすめですよ。

2017年11月1日水曜日

大谷崩れ(おおやくずれ)の紅葉

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


今朝の大谷崩れの紅葉です。

昨年、讀賣新聞日曜版で特集され、たくさんのお問い合わせをいただいた大谷崩れ。今、紅葉が真っ盛りです。

マイカー、レンタカーなどでおでかけください。

【 ご注意ください 】
きょうから狩猟が解禁となりました。熊の目撃情報も増えていますので、山深くお出かけになる皆さんは、どうか十分にご注意ください。

2017年10月30日月曜日

台風22号、影響なし。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

2週続けての台風でしたが、静岡市街地から梅ヶ島に来る県道には影響は出ていません。

これからいよいよ紅葉シーズンが始まります。

「いつごろが見ごろですか?」とよくお問い合わせをいただきますが、今のところは、山々の上の方はよく色づいてきています。

見ごろがいつ?というのは、正確にお答えできませんが・・・。

2017年10月27日金曜日

安倍峠までの林道が通れます。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


昨日まで道路工事で通れなかった安倍峠までの林道は、きょうからようやく通れるようになりましたので、ちょっと行ってきました。

山々はもうかなり色づいてきてとてもきれいです。

写真は、安倍峠の駐車場から山梨側へ歩いて行って、尾根を登ったところから見た富士山です。

以下、およその道順です。

安倍峠のトイレのある駐車場

林道を山梨側へ

その先通行止めのため閉まっているゲートの右側を抜けてさらに行く

右側に「開通記念」の石碑のあるところ、石碑の山梨側から急斜面を下りる(相当急で危険ですので、登山されない方にはおすすめしません)

登山道の「安倍峠 1488m」の立て札のあるあたりから、東の尾根に登る(これも急坂で危険です。登山される方なら行けると思います)

尾根まで登りきると、東側に写真のような景色が見えます。

*駐車場からその尾根まで歩いて30分ぐらいですが、急坂であり、足場も悪く、とても危険なので、危険だなと思ったら引き返す勇気をもちましょう。

2017年10月26日木曜日

薩埵峠富士山ライブカメラ

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


広重の『東海道五十三次之内由比』に描かれた江戸時代の薩埵峠さったとうげです。

当時も今も、晴れていれば富士山が見えて、東海道一の絶景といわれていますが、山が海にせり出していて、昔は断崖絶壁の道を歩かなければならなかったんですね。

この絵のころから地形が変わったために、今では狭くて細いながらも平地があって、東海道本線と東名高速道路と国道1号線が走っています。

静岡市から見る富士山も、きのうときょう、ようやく雪化粧されてきれいになりましたが、今現在の薩埵峠と富士山を、インターネットで見ることができますので、ご紹介したいと思います。

薩埵峠富士山ライブカメラというサイトです。

是非ご覧になってください。

2017年10月25日水曜日

安倍峠への林道がまだ工事中

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

【舗装工事で通行止め】となっていた梅ヶ島温泉街から安倍峠に向かう林道は、2017年10月26日(木)から通れる予定でしたが、1日遅くなり、27日(金)からは通れるようになるそうです。

きょうと明日は、安倍峠には車で行くことはできませんので、ご注意ください。

2017年10月23日月曜日

台風21号、影響なし。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。 大きな台風で心配されましたが、梅ヶ島温泉へのアクセスには、今のところまったく問題ありません。

2017年10月22日日曜日

静岡県道路通行規制情報

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。 台風が近づいていて雨が降っていますが、現在のところ、静岡県内で雨による通行止めは伊豆半島の1か所のみで、梅ヶ島温泉と静岡市街地を結ぶ県道は、平常通りに通行できます。 今後の道路通行規制に関する情報は、リアルタイムに更新される「静岡県道路通行規制情報システム」で、ご確認ください。

2017年10月20日金曜日

江戸時代ごろの梅ヶ島温泉の入湯料

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

横田内膳正書状

   定
湯入壹人ニ付て、鐚銭は五拾文、米は京升參升宛、可取候、但寺へをけ以下之儀は、借可申候、右相定之上、若違反之人於有之は、其元鄕中之者共、不殘出合、可押取候、内膳内之者などゝ申共、ひいきなく可取者也
 文禄五年申六月十日  内膳正
             村詮判
  梅ヶ島
   惣百姓中


 これが梅ヶ島温泉に関わる最も古い文書だそうで、文禄5年(1597年)の入湯料の規定について記されています。

 文禄年間というのは、大地震が相次いで発生し、九州、四国から関東に至るまで、各地で大きな被害が出ました。そのため、縁起でもないこの元号は5年で切り上げて慶長に改元され、その後、豊臣秀吉公薨去こうきょ、関ヶ原の戦いを経て徳川家康公が征夷大将軍となって江戸時代が始まったんですね。

 「1人につき、鐚銭びたせん50文、または、米3升(京升で)」とあります。

 「鐚銭」というのは、「ビタ一文払えねえ!」などというように、本来は「悪銭」で、私的に鋳造されたりした値打ちの低いコインだったんですが、16世紀も終わりごろになってくると、貨幣の絶対量が少なかったため、鐚銭にも需要が出てきて、それをもっての支払いを拒否することもできなくなったそうです。つまり、この当時は「悪銭」ではなくて、立派なお金だったということですね。

 同じころ、江戸に開業された銭湯の入湯料は鐚銭で6文ぐらいだったそうですから、梅ヶ島温泉の入湯料はすごく高額だったということになるようです。

 以上は、1990年発行の新井正編著『梅ヶ島郷土誌』他を参考にさせていただきました。
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2017年10月19日木曜日

ウメガシマイワシャジン

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。



毎年10月ごろ、山の岩肌に頭を垂れて咲くあおむらさき色の小さな花がイワシャジンです。関東から中部にかけての標高の高い山間地だけに咲く花で、各地で花の大きさなどに微妙な違いがあるのか、オオヤシャジン、アマハタシャジン、ヤシャジンシャジンなどと並んで「ウメガシマシャジン」と呼ばれているのが、梅ヶ島のイワシャジンです。

詰んだり掘ったりなんてことはせず、山に来て楽しみたいですね。

写真は、梅ヶ島温泉街から三段の滝の方へ歩いて行く道沿いで撮影しました。(昨日)

安倍峠への林道は工事中で通行止めになっています。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

安倍峠の紅葉がそろそろきれいかな?という季節になりましたが、安倍峠へ行く林道豊岡梅ヶ島線が、現在工事中で通行止めになっています。

舗装工事によるためと、週末の台風を警戒して
10月26日(木)に開通予定
・・・とのことです。

お問い合わせは静岡市役所へお願い致します。

静岡市経済局 農林水産部 治山林道課 管理係
所在地:清水庁舎6階
電話:054-354-2163

2017年10月18日水曜日

大谷崩れの紅葉の様子

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


冷える日が続いていたので、大谷崩れの紅葉の様子を見てきました。

写真が今の、その様子です。

紅葉が、そろそろ、始まってますね〜。

2017年10月17日火曜日

歴史資料『梅ヶ島村誌』

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


全体で84ページぐらいにまとめられたもので、旧梅ヶ島村役場から昭和43年12月に発行されています。

静岡市立図書館と梅ヶ島地区センターで閲覧することができます。

この村誌を編集する上で、大正2年に発行された最初の村誌が重要な資料となっているようです。そもそも貴重書ですが、これは現在閲覧することができません。もしできたらまたご報告します。

2017年10月16日月曜日

赤水の滝ライトアップ

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


去年初めて行われた「赤水の滝ライトアップ」ですが、今年は11月11日(土)から26日(日)までです。

お問い合わせはこちらです。

・梅ヶ島地区センター 054-269-2002
・静岡市観光交流課 054-221-1438

2017年10月14日土曜日

早い木

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


いつも早く紅葉する大駐車場近くのモミジの木、今はこんな感じです。

またちょっと冷えてきましたから、紅葉シーズンが近づきますね。

2017年10月10日火曜日

大看板のリニューアル!

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


道の駅「安倍ごころ」の近くの山のふもとにある大きな看板に「国民保養温泉地 梅ヶ島温泉郷」の文字が入りました!

黄色が入ってちょっと目立つようになったと思います。

2017年10月8日日曜日

梅ヶ島温泉は、仁徳天皇の4世紀から。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


きょうは、図書館から『日本鉱山史の研究』という古い本を借りてきて、その中に出てくる梅ヶ島について、ちょっとだけ紹介させていただきます。

静岡県安倍郡梅ヶ島村の金坑について、同地方では仁徳天皇の代初めて金を朝廷に献じ延喜二(九〇二)年にも産出あり、享禄年中今川市の治下繁盛して元栄と称したといい、家康駿府在城時代慶長年中に大いに開発されて産出多かったと伝える。(以上319ページ)

ここでも出てくる「仁徳天皇の時代」というのは、3〜4世紀のことです。

仁徳天皇は第16代の天皇で、「おほさざきのみこと」とか「おほさざきのすめらみこと」とも呼ばれ、登場するのは古事記日本書紀です。

古事記も日本書紀もオリジナルは8世紀ですから、仁徳天皇については400年以上前のことが人づてに伝わってきたものを文にまとめたということになりますが、お国の一番大事なところである天皇のことですから、「神話」とされるものも含めて、ウソやデタラメとはいえないんでしょう。きっと正確に伝えられてきたはずと信じたいところです。

お釈迦様やキリストの実在を信じて日本の天皇の実在を信じないというわけにもいきませんし、
大阪府堺市に前方後円墳の仁徳天皇陵が実際あるわけですから。

というわけで、梅ヶ島ではその4世紀のころにはすでに金を献上していたというのが伝説であり、歴史です。

だからこの梅ヶ島の地には、金山があり、温泉もある。それは仁徳天皇のころからというのが言い伝えなんだから、そう考えてもよいだろうということになるんですね。

1700年の歴史ある硫黄泉。というわけで、梅ヶ島温泉をまだ未体験の皆さんには、是非おいでいただき、実際に体験していただきたいと思う次第です。
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2017年10月6日金曜日

安倍峠の鹿さんたち

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


安倍峠の鹿さんたちを撮りました!

このニホンジカだけでなく、ニホンカモシカ、ニホンザルなんかも、梅ヶ島温泉の温泉街までやってくることがありますが、安倍峠では、ちょっと山に分け入ると鹿さんたちのフンもあったりするので、踏まないようにご注意くださいね。

ドライブしていて動物たちに出会うとサファリパークみたいで楽しいです。

2017年10月5日木曜日

『駿國雜志』の中の梅ヶ島温泉

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


インターネットのおかげでなにかと便利になりましたが、デジタル化された『駿國雜志』(明治後期の吉見書店版)を、Google Play で読むことができます。

『駿國雜志』というのは、旗本だった阿部正信が江戸時代後期の天保14年(1843年)に著した全49巻からなる駿河の歴史と風土をまとめた書物です。

その中の、「巻之十」(吉見書店版73ページ)に、梅ヶ島温泉と家康公について、ほんの少しだけ記述がありますので紹介します。

梅か島の湯
安倍郡梅か島村にあり。駿府案内記云。慶長年中神祖此湯に浴し玉ふ。其御湯壺今に存せり。云云。

ここで「神祖」と 書かれているのが、徳川家康公です。

これが書かれたのは、慶長年間からすでに二百年以上経っていますから、参考にされた『駿府案内記』(駿府政事録)も調べてみたいですね。
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2017年10月2日月曜日

緒形拳さんと茂木草介さんのサイン

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


これはあの有名なお二人の色紙で、梅ヶ島温泉のホテル梅薫楼に残されているものです。

左のサインは、茂木草介さん(明治43−昭和55年)。大阪市生まれの脚本家で、昭和39年(1964年)に梅ヶ島温泉の梅薫楼に長逗留して、NHKの大河ドラマ『太閤記』(昭和40年)の脚本を書きました。(原作は吉川英治の小説『新書太閤記』です。)

右のサインは、俳優の緒形拳さん(昭和12年−平成20年)。脚本家の茂木先生に呼び出されて梅ヶ島温泉にやって来てこの色紙にもお二人が揃ったというわけです。

緒形拳さんも故人となってしまわれましたが、当時はまだ新人で、豊富秀吉らしく猿に似ていたということで、NHKの大河ドラマ『太閤記』で主役に抜擢されたそうです。

大河ドラマ『太閤記』は、このお二人が梅ヶ島温泉に滞在した翌年の、正月から年末まで放送され、大変な人気を博しました。

緒形拳さんは梅ヶ島温泉にすっかりはまってしまい、その後も毎年湯治に訪れています。奥さんのお腹が大きい時にもご夫婦で来られ、さらにお子さん連れでも滞在されました。

2017年10月1日日曜日

テレビ朝日『帰れまサンデー』 in 梅ヶ島温泉?

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。




テレビ朝日、【日曜夕方4時30分】に放送(関東ローカル)されている『帰れまサンデー』という番組の皆さんが、静岡市に来てくださいました。

10月8日(日)に放送される分の今回は、あの長嶋一茂さん、サンドウィッチマン伊達みきおさん・富澤たけしさんの出演で、相渕バス停から梅ヶ島温泉までの区間、大きなサイコロを振って行き先を決めながら飲食店を探し歩くという企画だそうです。

梅ヶ島温泉まで来ることできますかね?

番組のホームページはこちら

2017年9月30日土曜日

すじなし豆(桑の木豆)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


これは、梅ヶ島で明治のころから栽培されている「スジナシマメ」という豆です。

インゲンの仲間ですが、完熟したものは赤いかすり模様がついて、茹でると模様が消えます。

岐阜県の山県市では「桑の木豆」という名で知られていますが、昔そちらの方から梅ヶ島に伝えられたのかもしれませんね。

2017年9月29日金曜日

聖一国師のお墓

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


安倍街道(県道29号線)を梅ヶ島に向かって上ってくる途中、蕨野わらびのというところに医王山回春院というお寺があって、その山腹に、聖一国師しょういちこくしのお墓(写真)があります。

聖一国師(円爾)は鎌倉時代、13世紀初頭の建仁2年(1202年)、安倍川あべかわ最大の支流である藁科川わらしながわの上流、栃沢とちざわというところに生まれ、久能寺くのうじなどで学び、宋の国にも渡航した臨済宗の高僧です。

今の静岡市で生まれた聖一国師は、宋の国から仏教の経典とともにお茶の実を持って帰り、それを静岡市の足久保あしくぼというところに蒔き、それが静岡茶(本山茶ほんやまちゃ)の始まりとなったと伝えられています。

聖一国師は、静岡茶の始祖なんです。

回春院は、聖一国師が母の実家の近くに開いたもので、医王山回春院という名の通り、お茶を人々の健康のために役立てようとしたんだそうです。

2017年9月24日日曜日

昔の道が現れた!

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


生え放題になっていた草木を刈ったところ、昔の道が現れました!!

徒歩だけで通行していたころの、かなり昔の道で、石垣も組んであります。

場所は、梅ヶ島の温泉街に入る「湯の島橋」を渡った右側の山。車で来るときにも見えますよ。
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2017年9月22日金曜日

秋がそろそろやって来ます。

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


梅ヶ島温泉の地域内では、そろそろ葉っぱが色づきはじめてます。

といってもまだ9月。本当の見ごろはまだまだですから、どうか焦らないでください。

個人的な予想では、今年は10月下旬ごろからでしょうか?

いえいえ、いい加減なことを言うのはやめておきますね。責任取れませんからね。

2017年9月17日日曜日

紀州で鷹狩を見てきた後藤庄三郎の話

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


きょうは『駿河土産』の中にある逸話を紹介したいと思います。

『駿河土産』は、1720年ごろに大道寺友山が書いたもので、徳川家康公の大御所時代を中心とする伝聞による逸話集です。

その中に、梅ヶ島などから産出した金を鋳造して慶長大判や小判を発行する金座の当主である後藤庄三郎が紀州の浅野左京大夫のところで見せてもらった鷹狩について家康公に報告した逸話があります。

浅野左京大夫幸長よしなが(肖像画は東京大学史料編纂所所蔵品)は、豊臣政権での五奉行の一人でしたが、関ヶ原の戦いでは家康公率いる東軍に属し、戦後、和歌山藩初代藩主として37万石を与えられていますが、同時に豊臣氏にも忠誠を誓っていたそうです。

後藤庄三郎がその和歌山城へ行ってきて、十日も逗留したということを報告したのですが、家康公から、幸長はどんな接待をしてくれたかと聞かれ、紀の川(吉野川)での漁を見せてもらいとても見ごたえがあったということと、もうひとつ、山鷹野(鷹狩)の様子を報告したのですが、二度見せてもらった鷹狩のうち、最初はキジ、山鳥、鹿、むじななどたくさん獲れたのに幸長公は不機嫌で、次の鷹狩では獲物が何も獲れなかったにも関わらず上機嫌だったので、どうにも理解に苦しんだということを申し上げたそうです。

それを聞いて家康公はお笑いになり、それが本当の鷹狩というもので、獲物の数の問題ではないのだよと教えてくださったということです。

家康公も、梅ヶ島の大代の山で育った鷹での鷹狩に熱心だったそうですが、この鷹狩というのは、何とも奥の深いもので、素人にはわからないものなんですね。
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2017年9月14日木曜日

武田信玄公と梅ヶ島のこと

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。



梅ヶ島温泉は、昔から「信玄公の隠し湯」といわれるように、甲斐の国の武田信玄公の善政によって統治されていたことがあります。

信玄公は、永禄10年(1569年)に富士川、安倍川の両金山を手に入れて、甲州金と呼ばれた金貨を鋳造しています。

甲州金は、日本で初めて体系的に整備された貨幣制度であるといわれていますが、山梨県埋蔵文化財センター(山梨県立考古博物館)に見るように、甲斐の国には縄文時代はもちろん、さらにその前の石器時代から、豊かな文化が栄えていたということですから、この地に武田信玄公が登場して破竹の勢いを得たのも、太古からこの地には何か特別な力が働いているのかもしれません。

武田信玄公は、元亀3年(1572年)12月、三方ヶ原の戦いで日本最強の2万7千の軍を率いて徳川軍を破っていますが、翌元亀4年(1573年)4月12日には、京都への作戦の途上で病没してしまいました。享年53歳。

跡を継いだ武田勝頼公は、信玄公が亡くなった翌々年の天正3年(1575年)5月21日、対織田、徳川戦となった長篠の合戦で惨敗。「武田二十四将」のうち9人はすでに死亡していたそうですが、残る15人のうち7人までが長篠で討死してしまったといいます。

武田氏は滅亡ということになったのですが、ここ梅ヶ島、かつての本村や大代の地でも、徳川軍と武田軍が戦ったそうです。

織田信長公は徳川家康公に、武田家と縁のある者は絶滅させるように言われていたそうですが、家康公はそれに背き、折井、米倉、依田、三枝など、武田家臣の多くを、自分の領地である駿遠の地に逃れさせたといいます。

また勝頼公は、妹のお市どのを何としても逃れさせたいと考え、家臣の遠藤伝蔵の妻として、二人は梅ヶ島の十枚山下の成島というところの山中に隠れました。

二人はその後、安倍川西岸に芝地を拓いて新田とし、これが遠藤新田となったそうです。

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写真は、武田信玄公や勝頼公を祀った山梨県の武田神社です。
本稿は、『史話と伝説 梅ヶ島物語』昭和57年志村孝一編著ほかを参考に編集しています。
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