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2020年1月10日金曜日

梅ヶ島郷土誌

梅ヶ島郷土誌

平成2年2月1日に、静岡市内足久保奥組の有限会社硯水泉から発行された故新井正氏著『梅ヶ島郷土誌』です。

540ページに及ぶ大著で、「あとがき」にあるように、梅ヶ島関の沢の旧家秋山家に伝わる膨大な古文書を翻字、編纂し活字にしたものです。

著者の新井正氏はこの『梅ヶ島郷土誌』の前に『天領梅ヶ島金山誌』も編纂されていて、梅ヶ島や入島の歴史を知る上で大変に貴重な仕事をしてくださいました。

2018年1月26日金曜日

応神天皇と梅ヶ島温泉

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

(『集古十種』寛政12年より)

大正2年(西暦1913年)に編集された『安倍郡梅ヶ島村誌』の中に、「梅ヶ島温泉の沿革」という項があって、そこには次のように書かれています。


口碑 徃古仙人の林間分け入りしにより発見せられたりといいその後応神天皇の御待黄金湯の名称を賜りしという。

現代語:言い伝えによれば、太古の時代に仙人が山に分け入って発見したといい、その後、応神天皇のころに「黄金湯」の名称を賜ったという。


梅ヶ島温泉を発見したのは山奥に住んでいた仙人で、その後、応神天皇に「黄金湯」の名前をいただいたというのが、言い伝えとして大正時代まで残っていたということです。

*「黄金湯」というのは、そもそも梅ヶ島温泉の別名ですが、平成になってから梅ヶ島新田地区に新しく作られた「新田温泉」(梅ヶ島温泉とは源泉を共有していない新しい温泉)が「黄金の湯」という名前を使用しています。

応神天皇が生まれた年は、古墳時代の「仲哀天皇9年」という年で、これが西暦200年。崩御が「応神天皇41年」で、西暦310年(4世紀)だそうです。130年も生きたということになっています。

応神天皇は、第15代の天皇で、日本武尊の子である仲哀天皇の子。そして、仁徳天皇の父にあたります。確実に実在が確かめられる最初の天皇ともいわれています。

その後「八幡神」となって、全国にある「八幡宮」で祀られています。

梅ヶ島温泉は今から1700年以上昔から知られていたということになります。

2018年1月16日火曜日

宝月院の百万遍念仏数珠回し

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


きょう1月16日は、梅ヶ島の関の沢にある宝月院というお寺で「百万遍念仏数珠回し」というご祈祷が行われる日でした。

今年も大勢の人たちが集まって、ご祈祷されるご住職を囲むようにして長い長い数珠を持ち、太鼓や鐘の音に合わせてぐるぐると回していきます。


数珠にはひとつだけ大きな玉があって、それが百八周(!)するまで続けられるのですが、ここまで長いと、相当な時間がかかります。

2017年12月12日火曜日

昔あったという迷信のこと

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


大正2年(1913年)に靜岡縣安倍郡梅ヶ島村役場が編集した『安倍郡梅ヶ島村誌』より、かつて梅ヶ島温泉にあったという迷信についての記述があったので、ご紹介します。

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良純親王を梅ヶ島温泉に招いたという蛇を祀って「三蛇権現」湯之神社が立てられたことからもわかるように、今から40年前、つまり明治6年ごろまでは温泉浴室がまだ不完全で、梅ヶ島温泉には四季を通じて蛇が多く生息していた。それも「不浄」の期間中の者が入浴するときは、浴室はもちろん、お湯の中にまでたくさんの蛇が来て、人々を驚かせたといい伝えられている。
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現代の梅ヶ島温泉では、平野部を含めた他の地域に比べて特別蛇を多く見かけるなどということもありません。どうかご安心の上おいでください。