梅ヶ島温泉の歴史と源泉

静岡、温泉、濃い温泉。梅ヶ島温泉です。


【梅ヶ島温泉の概要】

梅ヶ島は、日本最深の駿河湾に注ぐ急流で知られる安倍川の最上流域にあり、北は安倍峠を越えて山梨県に至り、旧大河内村、玉川村などと南に接して、静岡市の中心市街地から約50kmの道のりにある南アルプスの麓です。昭和44年1月1日、静岡市に編入されるまでは、人口わずか1,385人という静岡県安倍郡梅ヶ島村でした。

静岡市は南北に極端に長いため、北部にはここ梅ヶ島と、川越えで有名な大井川の最上流域となる旧井川村があります。


【梅ヶ島温泉の歴史】

林業の盛んな大井川流域とは異なり、梅ヶ島は古くから金鉱山とここ梅ヶ島温泉で栄えてきました。徳川家康公が大御所政治を執り行っていたことで、駿府(駿河国府中=現在の静岡市中心部)が事実上の日本の首都として機能していたころにも、梅ヶ島の金山からは大量の金が採掘され、江戸時代の金の代表ともいわれる慶長小判、大判などが鋳造されていました。

梅ヶ島温泉の歴史は、大正2年(西暦1913年)に編集された『安倍郡梅ヶ島村誌』にこんな記述があります。

《原文》
口碑 徃古仙人の林間分け入りしにより発見せられたりといいその後応神天皇の御待黄金湯の名称を賜りしという。

《現代語訳》
言い伝えによれば、太古の時代に仙人が山に分け入って発見したといい、その後、応神天皇のころに「黄金湯」の名称を賜ったという。
応神天皇像

千七百年前の応神天皇のころにはすでに人に知られていたというのが梅ヶ島温泉です。

応神天皇といえば、仁徳天皇陵の次に大きな前方後円墳「応神天皇陵」に埋葬されているという、「歴史上実在が確認される最初の天皇」といわれ、「八幡神」として、全国の八幡宮の神さまでもあります。時代は4世紀ごろといわれますので、梅ヶ島温泉は1700年ぐらい前から知られていたということになります。

戦国時代には武田信玄の隠し湯のひとつとされ、江戸時代には徳川家康公はじめ江戸幕府によっても大事にされてきました。

江戸時代の初期には家康公の猶子(親子関係を結んで子になった人)で当時ご病気だった良純親王が三匹の蛇に導かれるようにして梅ヶ島温泉を訪れてしばらく滞在され、ご健康を完全に取り戻されたことから、親王がここに「三蛇権現湯之神社」を建てられ、今も梅ヶ島温泉の源泉がある「お湯のふるさと公園」の上にこの神社が祀られています。

梅ヶ島温泉 湯之神社

吉井勇の歌碑

写真は、大正、昭和期の歌人で、梅ヶ島温泉に長く滞在した吉井勇による歌碑で、梅ヶ島温泉のおゆのふるさと公園内に立てられているものです。
あめつちの大き心にしたしむと駿河の山の湯どころに来し 


【温泉街】

梅ヶ島温泉は、ほとんど手付かずの山々が四季を彩る別天地であり、安倍奥の秘境ともいわれます。そこに旅館や民宿が身を寄せ合うように立ち並ぶ様は、訪れる人々には奇跡のように映ることでしょう。

梅ヶ島温泉の温泉街には温泉旅館が8軒、温泉民宿が2軒、温泉浴場を併設した飲食店が1軒あります。

急峻な山々に囲まれた安倍奥の秘境、梅ヶ島温泉


【源泉】

2019年4月には、静岡市の中山間地振興課により源泉分布図が作成されました。

梅ヶ島温泉の源泉分布図

梅ヶ島温泉おゆのふるさと公園の右手階段を登った上にある「岩風呂」をはじめとして、この山全体が、梅ヶ島温泉の源泉となっています。

梅ヶ島温泉の旅館・民宿に共有される源泉は、この図に見るように全部で12もあって、それぞれに名前がつけられています。

これら源泉が供給されているのは、当サイトを主催する梅ヶ島温泉の全12軒の旅館・民宿などです。

泉質はアルカリ単純硫黄泉。
源泉温度は39度です。

江戸時代に良純親王の病気が完治され、梅ヶ島温泉の効能の素晴らしさは、江戸時代には万病に効くといわれて大変に高く評価されてきました。

洞窟内の岩肌から熱い温泉が滴り続ける源泉の穴風呂


*梅ヶ島温泉郷の中でも、梅ヶ島温泉以外の温泉地である「新田温泉黄金の湯(ナトリウム炭酸水素塩泉)」「コンヤ温泉(アルカリ単純硫黄泉)」などは、それぞれ別の源泉によるものです。