2017年12月4日月曜日

梅ヶ島温泉湯之神社と良純入道親王

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


ここ梅ヶ島温泉に、三蛇権現湯之神社を建てたのが良純入道親王。「良純」は「りょうじゅん」と読み、「入道親王」というのは出家して仏門に入った親王の称号です。

慶長8年(1604年)に後陽成天皇の第八皇子として生まれて「八宮」とも呼ばれ、慶長19年(1614年)に「直輔親王」と名乗られ、翌年の元和元年(1615年)に満11歳で徳川家康公の猶子となられました。猶子というのは、親子関係を結ぶ制度による養子のことです。

良純親王は、5歳の時にすでに知恩院に門跡(始祖を継承する僧侶)となるために住まわれましたが、出家はせず、家康公が薨去(逝去)されて後の元和5年(1619年)になってから出家し、「良純」と名乗られるようになりました。

それから24年後の寛永20年(1643年)、甲斐国天目山棲雲寺(山梨県甲州市大和町にあるお寺)に流されてしまいました。(病気療養であったという説もあります。)

万治2年(1659年)の勅許によって京都へ帰るまでの約16年間を甲州で過ごしましたが、京都から棲雲寺に来て3年ほどの正保2年(1646年)初夏のころ、西の方に霊泉ありという夢のお告げを受けたとのことで、甲州から安倍峠を越えて梅ヶ島温泉に向かわれたそうです。

棲雲寺は天目山山中の標高約1,000メートルのところにありますので、ここ梅ヶ島温泉とほぼ同じぐらいの標高です。もしそのお告げが事実だったとしたら、同じぐらいの標高の地にあって梅ヶ島温泉へ向かうという霊示を受けたのは、脳に何らかの信号を受信したということだったのかもしれません。

安倍峠まで来られた良純親王は、逆川のほとりで三匹の赤い蛇に出会ったというのが伝説として残っています。

持っていた酒を杯に注いで蛇に差し出すと、蛇はそれを舐め、良純親王を梅ヶ島温泉へと導いたそうです。

伝説では、良純親王は難病を患っておられ、梅ヶ島温泉に入湯して二、三日で痛みがなくなり、十数日で難病が快癒したとされています。

それが評判となり、梅ヶ島温泉は万病に効く奇跡の温泉であるとして有名になったそうです。

(参考:『史話と伝説 梅ヶ島物語』志村孝一編著 昭和57年)

本年5月の記事に補足するものとしてお読みいただければ幸いです。