2017年5月30日火曜日

かつての源泉洞窟 “岩風呂” と “市営浴場” のこと

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


この写真は、昭和41年(1966年)ごろの源泉洞窟 “岩風呂” です。

中はそこそこに広さもあって、5〜6人ぐらいが一緒に入ることができました。

現在ではこの源泉と、この源泉周辺にも湧出しているお湯が、全部で12軒の旅館や民宿に供給されていますので、この岩風呂も衛生管理のため施錠されていて、この写真のように入ることはできません。

唯一の例外は、毎年二回行われる岩風呂の清掃で、梅ヶ島温泉観光組合の組合員によって行われます。

この写真の当時には、この源泉のあるおゆのふるさと公園の敷地内に、市営の温泉浴場もありました。

昭和35年(1960年)生まれの筆者は、まだ小学校に上がる前からその浴場で泳ぎをおぼえ、犬かきでしたが、それが大いに自慢だったものです。

現在ではその浴場も廃止され、梅ヶ島温泉には市営の浴場はありませんが、日帰りで入浴したいというお客様は、各旅館・民宿と、食堂の湯元屋で入ることができますので、それぞれの施設にお問合せください

また、梅ヶ島温泉から南にずっと下ったところに、平成11年にオープンした新田温泉「黄金の湯」(市営)があります。残念なことに、最近では「黄金の湯」のことを「梅ヶ島温泉」だと思っておられる人も少なくないようですが、黄金の湯は梅ヶ島温泉の源泉を引いたものではないため、泉質も「ナトリウム炭酸水素塩泉」とされていて、ここ梅ヶ島温泉の「単純硫黄泉」とは異なります。

ちなみに「黄金の湯」という名称は、本来、梅ヶ島温泉の別名でもあったものですから、それも一層、混乱のもとになっているのかもしれません。
記事のカテゴリー

梅ヶ島温泉の歴史(5)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


今回も『史話と伝説 梅ヶ島物語』を資料として、梅ヶ島温泉の歴史についてまとめてみます。

今回は、梅ヶ島温泉の経営と発展の歴史についてご紹介します。

江戸時代の中期には、よしとみ荘さんの祖先が梅ヶ島温泉を経営していたといいます。

その後、天保てんぽう7年(西暦1836年)から15年間は日影沢儀助さんの経営となり、嘉永かえい4年(1851年)から望月瀬平さん、明治16年(1883年)から「永寿軒」という名で甲州の木内伴六さんが経営されたそうです。

明治38年(1905年)、梅ヶ島温泉は梅ヶ島村民の共有財産となり、明治40年(1907年)から美和村の望月庄太郎さん、大正14年(1925年)から狩野信吉さんが、それぞれ使用料を納めて経営しました。

昭和10年(1935年)には、当時の村長代理助役だった望月吉久さんの熱意によって、渡村から梅ヶ島温泉までの車道造成が県に陳情されました。

当時の国家予算(昭和12年で47億円)のおよそ一万分の一近くもあった「36万7千円」という巨額の計画に対して、県議会では「僻地にそこまで巨額の公費は出せない」という反対にあい否決されましたが、東京営林局の局長であった花園一郎氏に陳情してなんとか許可を得、それまでは徒歩二日がかりで歩いていた道のりが全線車道となる大工事が始まりました。

その際に、地元の受益者負担金としての10万円という費用を拠出した手塚忠吉さんが、20年間の温泉旅館の経営権を委され、現在も最も古くから営業している梅薫楼ばいくんろうの経営が始まりました。

そのようにして、梅ヶ島温泉までの車道全線が開通したのは昭和12年(1937年)のことです。

太平洋戦争当時には陸軍傷病兵の療養所となり、また戦況の悪化にともなって都市部から疎開してくる人々の食料調達に明け暮れるなど、梅ヶ島村は秋山義則村長の多大な功績もあって激動の時代に貢献してきました。

そして昭和31年(1956年)、旅館営業権は梅ヶ島村の有志に開放され、この時から、源泉のお湯が各旅館にも引かれるようになり、今のような秘境の温泉街へと発展してきたのです。

2017年5月28日日曜日

梅ヶ島温泉の歴史(4)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


写真は、昭和14年の夏に、梅ヶ島温泉の梅薫楼に滞在した、歌人の吉井勇です。写真の原典は、昭和30年の『アサヒグラフ』新年号に掲載されたものです。(現時点では著作権がなくなっています。)


吉井勇は、梅ヶ島温泉滞在中に短歌を残していて、それが『史話と伝説 梅ヶ島物語』にも掲載されていますので、いくつか紹介します。

 天平の昔より湧く湯を浴めば思いはるけくなりにけるかな

 あめつちの大きこゝろに親しむと駿河の國の湯どころに來し

 金の湯に一夜浴みなばうつし世の憂いかなしみなべて忘れむ

この中の二番目に紹介した歌は石碑になっていて、梅ヶ島温泉おゆのふるさと公園の中にその石碑があります。


2017年5月27日土曜日

梅ヶ島温泉の歴史(3)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


前回に続き、『史話と伝説 梅ヶ島物語』から、梅ヶ島温泉の歴史について紹介します。

今回は良純親王りょうじゅんしんのうと梅ヶ島温泉湯之神社ゆのじんじゃのお話です。

良純親王というのは、江戸時代初期の慶長9年(1604年)生まれ、後陽成天皇ごようせいてんのうの第八皇子で、久能山東照宮の楼門に今も残る「東照大権現」の扁額を書いた後水尾天皇ごみずのおてんのうの弟です。

慶長16年(1611年)、良純親王は猶子(親子関係を結んで子供になること)として徳川家康公に迎えられました。

家康公が薨去こうきょされてから30年後の正保しょうほう2年(1646年)のこと、甲斐の国の天目山に病気療養中だった良純親王は、西方に霊泉ありというお告げを受けて、安倍峠を超えて梅ヶ島温泉を目ざしました。

その道で、赤い小さな蛇が三匹出てきて良純親王を導いたそうです。そこで良純親王が持っていた酒を杯に注いで与えると、蛇はそれを舐めたといいます。

三匹の蛇に導かれるようにして良純親王は梅ヶ島温泉にたどり着き、二、三日入湯すると、痛みも取れて、難病が治癒したということです。

良純親王は、三匹の蛇を神仏の仮の姿だと考え、梅ヶ島温泉に「三蛇権現さんじゃごんげん」としてお祀りしました。

それが今も残る梅ヶ島の湯之神社ゆのじんじゃです。

湯之神社は、梅ヶ島温泉のおゆのふるさと公園の中、階段を上った中腹に祀られています。湯之神社の裏手には、梅ヶ島温泉を象徴する源泉の洞窟「岩風呂」があります。その右手に流れ落ちているのは温泉湯滝です。

梅ヶ島温泉の歴史(2)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


前回に続き、『史話と伝説 梅ヶ島物語』から、梅ヶ島温泉の歴史について紹介します。

安倍川源流域の梅ヶ島は、今も梅ヶ島地区の日影沢に金鉱跡がある通り、古くから金を産出することで栄えてきました。

その歴史は、仁徳天皇とか、その前の応神天皇のころからだとも言われていますから、「1,700年の歴史」だというわけです。

その長い歴史の中でも、特にはっきりとわかっていてよく語られるのは、戦国時代のころからです。

梅ヶ島温泉から山梨県へ行く「林道豊岡梅ヶ島線」がありますが、温泉街から県境の安倍峠まではわずか7〜8キロメートルしかありません。(現在のところ、12月中旬から4月中旬までの通行可能な期間であっても、安倍峠から山梨側へは、長い間、工事のため通行止めになっていますのでご注意ください。)

一方、南側、つまり安倍川を下って行く静岡市街地方面へは、何十キロメートルもあります。

そのような地理的な事情もあって、戦国時代の梅ヶ島は、甲斐の国(今の山梨県)に属していました。

それで梅ヶ島温泉は、優れた効能もあったことから、「信玄の隠し湯」のひとつとして湯治に使われてきたようです。

その後、徳川家康公によって戦国時代に終止符が打たれ、慶長年間には梅ヶ島をはじめとする安倍川上流域や、大井川上流の井川などから産出した金を使って、日本初の統一通貨といわれる、慶長小判や慶長大判が駿府(今の静岡市)で鋳造されました。

将軍職を徳川秀忠公に譲った家康公が、駿府で大御所政治を執り行なっていたころのことです。

家康公にとっての駿府は、かつて自分が今川家によって育てられた地であり、終の棲家としたのも駿府城でした。

その大御所時代、徳川家康公が自ら梅ヶ島に来たとまでは、この本には書かれていませんが、「将軍家ご慰労のため」として、梅ヶ島温泉の湯は、たくさんの桶で駿府城へ運ばれたんだそうです。原典は、阿部正信の『駿國雜志』や、徳川将軍家の公式記録である『德川實紀』です。

次回は、三蛇権現、つまり梅ヶ島温泉の湯之神社の由来について紹介します。

梅ヶ島温泉の歴史(1)



静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

今回から何度かに分けて、『史話と伝説 梅ヶ島物語』という本の中から、梅ヶ島温泉の歴史などについてご案内します。

まずこの本は、志村孝一氏により編集され、昭和57年1月20日に「史話と伝説梅ヶ島物語刊行会」により発行されたものです。当時の定価が1,500円となっていますから、少部数が印刷(印刷所は長田文化堂さん)されたようです。

* *

(52ページ「九、梅ヶ島温泉」より)

梅ヶ島温泉の発見については諸説あるようですが、「おほさざきのみこと」と呼ばれた仁徳天皇のころ、あるいはその一代前の応神天皇のころには、梅ヶ島の地から砂金が発見されていたといい、その頃には梅ヶ島の温泉も発見されていたという説が紹介されています。

もし砂金がそのころ発見されたというなら、温泉が同時に発見されていてもおかしくないでしょう。

もしそうなら、応神天皇、仁徳天皇の時代というのは西暦で3世紀末から4世紀のころとされていますから、今から1,700年前ということになります。

2017年5月22日月曜日

超絶景の東峰(ひがしみね)

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


絶景の郷、東峰ひがしみねをご紹介します。

梅ヶ島温泉郷のひとつ、コンヤ温泉のテニスコートの横の道路を車で上って行きます。(上の方の道路は狭いので、できれば軽自動車がいいです。3ナンバーの車だと危険かもしれません)

道幅は狭いですが、なかなかきれいに舗装された道路を上へ上へと上っていくと、東峰の集落があります。

車で行けて、登山しなくても登山したぐらいの超絶景! まさかこんな所があったなんて! と感動してしまいます。


標高千メートル、「日本一高い茶畑」もあります。

この日は霞んでいたので、静岡市街地の方までは見えませんでしたが、冬の空気の澄んだ日なら、海の方まで見えます。

写真の左前方は十枚山です。標高1,726mの上十枚山と、1,732mの下十枚山からなるのが十枚山ですが、ここ東峰から見ると、もうすぐ近くに見えます。

梅ヶ島温泉に泊まって、時間に余裕があったらちょっと行ってみたいところですね。

2017年5月20日土曜日

シロヤシオツツジはまだ咲いていません。

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


昨年は5月18日ごろが満開だった安倍峠のシロヤシオツツジ(ゴヨウツツジ)ですが、今年はきょうもまだ咲いていません。

でもまたきょうも良いお天気で、山梨県側の尾根に登ると富士山がきれいに見えました。

登山の方も大勢来られていました。新緑の眩しい、最高のシーズンですね!

2017年5月19日金曜日

静岡朝日テレビの「とびっきり静岡」予告です。

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


本日、静岡朝日テレビの「とびっきり静岡」(16時45分〜)で、梅ヶ島温泉郷を紹介してくださいます。
梅ヶ島温泉と、泉質の違うコンヤ温泉、新田温泉、金山温泉の、4つの温泉を案内してくださるそうです。

静岡県内の皆さんは是非、ご覧ください。

2017年5月15日月曜日

国民保養温泉地指定式 〜全国温泉地サミットにて〜

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


環境省より、梅ヶ島温泉郷が「国民保養温泉地」に指定され、きょうは東京で開催されている「全国温泉地サミット」の中で指定式が行われ、環境副大臣より、静岡市の副市長に指定証が授与されました。

「梅ヶ島温泉郷」というのは、ここ梅ヶ島温泉うめがしまおんせんと、新田しんでん温泉、金山きんざん温泉、コンヤ温泉を総称したものです。

静岡県では、伊豆の国市と函南町にまたがる畑毛温泉に次ぐ指定となりました。

きょうの指定式では、秋田県大館市の大館おおだてぐるみ温泉郷と、岡山県美作みまさか市の湯郷ゆのごう温泉が、梅ヶ島温泉といっしょに指定されました。

今回までで、全国で97か所が指定されているそうです。

以下、環境省のウェブサイト『国民保養温泉地』から引用させていただきます。

国民保養温泉地とは、温泉の公共的利用増進のため、温泉利用の効果が十分期待され、かつ、健全な保養地として活用される温泉地を「温泉法」に基づき、環境大臣が指定するものです。

国民保養温泉地の選定は、概ね以下の基準によって行われており、昭和29年から指定が始まりました。平成28年6月末現在では、全国で94箇所が指定されています。

[1] 温泉の効能、ゆう出量及び温度に関する条件
ア 泉効が顕著であること。
イ ゆう出量が豊富であること。
ウ 利用上適当な温度を有すること。

[2] 温泉地の環境に関する条件
ア 環境衛生的条件が良好であること。
イ 附近一帯の景観が佳良であること。
ウ 温泉気候学的に休養地として適していること。
エ 適切な医療施設及び休養施設を有するか又は将来施設し得ること。
オ 医学的立場から適正な温泉利用、健康管理について指導を行う顧問医が設置されていること。
カ 交通が比較的便利であるか又は便利になる可能性のあること。
キ 災害に対し安全であること。

2017年5月14日日曜日

赤池キョウコ様のイラストをご紹介します。

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


ゴールデンウィークに梅ヶ島温泉にご宿泊されたイラスト作家の赤池キョウコ様が、梅ヶ島温泉の様子を詳しくまとめたイラストを送ってくださいました。

ご本人のご許可をいただきましたので、ここで紹介させていただきます。

梅ヶ島温泉の見所や、温泉の泉質の素晴らしさなど、とても楽しく編集してくださっています。ありがとうございます!

2017年5月13日土曜日

温泉街の安倍川沿い道路の歩道工事

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

今まで段差が大きかった歩道です。

こんなふうに、現在工事中です。

完成した箇所はこんな感じになりました。

温泉街の川沿いの歩道が、今まで段差が大きくて、自動車で見えるお客様にご不便をおかけしておりましたが、現在それを改善する工事が行われています。

工事前と後の違いが、写真でおわかりいただけるでしょうか。

2017年5月9日火曜日

SBSテレビ「元気! しずおか人」「復活! 安倍の大滝への吊橋」

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


先月4月20日(木)に行われた、安倍の大滝遊歩道、第3橋の落成式のとき、SBS(静岡放送)テレビの鈴木俊夫さんが、梅ヶ島温泉、安倍の大滝と、濃い金運キャンペーンを取材してくださいました。

その模様は4月20日(月)の夕方のニュース番組などでも放送してくださいましたが、さらに、5月7日(日)お昼の「元気! しずおか人」という番組でも特集されました。

静岡県限定のため、県外の方にはご覧いただけませんでしたが、「ウェブでも見られるようになりましたよ」とのご連絡を鈴木さんからいただきましたので、ご案内します。

↓ こちらです。
元気! しずおか人「復活! 安倍の大滝への吊橋」

2017年5月8日月曜日

新緑が美しくなってきました。

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


きょうのおゆのふるさと公園です。新緑の季節ですね〜。紅葉より新緑が好き!っていわれる方も多いですが、同感です。もちろん紅葉も素晴らしい梅ヶ島温泉ですが、新緑の美しさも神がかってますね。

2017年5月3日水曜日

山桜

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。

安倍川の源流、梅ヶ島温泉でも、桜の見ごろはそろそろ終わり? というのがきょうのこの写真です。

が、山々にはまだまだ満開の桜がいっぱいです。


ゴールデンウィークいっぱいは楽しめそうですね。

2017年5月2日火曜日

安倍峠からの富士山

静岡の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


きょうは安倍峠から富士山がよく見えました。

写真のポイントへは、およそこんなルートです。

  1. 林道を安倍峠駐車場(トイレのあるところ)まで車で。(梅ヶ島温泉街から約7km)
  2. 駐車場から林道を山梨方面へ歩く。(ゲートが閉まっていますが、右側が歩いて通れます)
  3. 林道を歩いて10〜15分ぐらいのところに、尾根に降りられるところがあるので、そこから道なき道を登ります。(15〜20分ぐらい)
  4. 尾根の東側は木立が多く富士山はよく見えませんが、さらに上ると視界が良くなるところがあります。そこが写真を撮ったポイントです。

これからの季節、富士山がよく見える日は少なくなりますが、きょうのように運が良ければ壮大な景色が見られますよ。