2017年5月27日土曜日

梅ヶ島温泉の歴史(3)

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


前回に続き、『史話と伝説 梅ヶ島物語』から、梅ヶ島温泉の歴史について紹介します。

今回は良純親王りょうじゅんしんのうと梅ヶ島温泉湯之神社ゆのじんじゃのお話です。

良純親王というのは、江戸時代初期の慶長9年(1604年)生まれ、後陽成天皇ごようせいてんのうの第八皇子で、久能山東照宮の楼門に今も残る「東照大権現」の扁額を書いた後水尾天皇ごみずのおてんのうの弟です。

慶長16年(1611年)、良純親王は猶子(親子関係を結んで子供になること)として徳川家康公に迎えられました。

家康公が薨去こうきょされてから30年後の正保しょうほう2年(1646年)のこと、甲斐の国の天目山に病気療養中だった良純親王は、西方に霊泉ありというお告げを受けて、安倍峠を超えて梅ヶ島温泉を目ざしました。

その道で、赤い小さな蛇が三匹出てきて良純親王を導いたそうです。そこで良純親王が持っていた酒を杯に注いで与えると、蛇はそれを舐めたといいます。

三匹の蛇に導かれるようにして良純親王は梅ヶ島温泉にたどり着き、二、三日入湯すると、痛みも取れて、難病が治癒したということです。

良純親王は、三匹の蛇を神仏の仮の姿だと考え、梅ヶ島温泉に「三蛇権現さんじゃごんげん」としてお祀りしました。

それが今も残る梅ヶ島の湯之神社ゆのじんじゃです。

湯之神社は、梅ヶ島温泉のおゆのふるさと公園の中、階段を上った中腹に祀られています。湯之神社の裏手には、梅ヶ島温泉を象徴する源泉の洞窟「岩風呂」があります。その右手に流れ落ちているのは温泉湯滝です。