今回も『史話と伝説 梅ヶ島物語』を資料として、梅ヶ島温泉の歴史についてまとめてみます。
今回は、梅ヶ島温泉の経営と発展の歴史についてご紹介します。
江戸時代の中期には、よしとみ荘さんの祖先が梅ヶ島温泉を経営していたといいます。
その後、
明治38年(1905年)、梅ヶ島温泉は梅ヶ島村民の共有財産となり、明治40年(1907年)から美和村の望月庄太郎さん、大正14年(1925年)から狩野信吉さんが、それぞれ使用料を納めて経営しました。
昭和10年(1935年)には、当時の村長代理助役だった望月吉久さんの熱意によって、渡村から梅ヶ島温泉までの車道造成が県に陳情されました。
当時の国家予算(昭和12年で47億円)のおよそ一万分の一近くもあった「36万7千円」という巨額の計画に対して、県議会では「僻地にそこまで巨額の公費は出せない」という反対にあい否決されましたが、東京営林局の局長であった花園一郎氏に陳情してなんとか許可を得、それまでは徒歩二日がかりで歩いていた道のりが全線車道となる大工事が始まりました。
その際に、地元の受益者負担金としての10万円という費用を拠出した手塚忠吉さんが、20年間の温泉旅館の経営権を委され、現在も最も古くから営業している
そのようにして、梅ヶ島温泉までの車道全線が開通したのは昭和12年(1937年)のことです。
太平洋戦争当時には陸軍傷病兵の療養所となり、また戦況の悪化にともなって都市部から疎開してくる人々の食料調達に明け暮れるなど、梅ヶ島村は秋山義則村長の多大な功績もあって激動の時代に貢献してきました。
そして昭和31年(1956年)、旅館営業権は梅ヶ島村の有志に開放され、この時から、源泉のお湯が各旅館にも引かれるようになり、今のような秘境の温泉街へと発展してきたのです。