きょうは『駿河土産』の中にある逸話を紹介したいと思います。
『駿河土産』は、1720年ごろに大道寺友山が書いたもので、徳川家康公の大御所時代を中心とする伝聞による逸話集です。
その中に、梅ヶ島などから産出した金を鋳造して慶長大判や小判を発行する金座の当主である後藤庄三郎が紀州の浅野左京大夫のところで見せてもらった鷹狩について家康公に報告した逸話があります。
浅野左京大夫
後藤庄三郎がその和歌山城へ行ってきて、十日も逗留したということを報告したのですが、家康公から、幸長はどんな接待をしてくれたかと聞かれ、紀の川(吉野川)での漁を見せてもらいとても見ごたえがあったということと、もうひとつ、山鷹野(鷹狩)の様子を報告したのですが、二度見せてもらった鷹狩のうち、最初はキジ、山鳥、鹿、むじななどたくさん獲れたのに幸長公は不機嫌で、次の鷹狩では獲物が何も獲れなかったにも関わらず上機嫌だったので、どうにも理解に苦しんだということを申し上げたそうです。
それを聞いて家康公はお笑いになり、それが本当の鷹狩というもので、獲物の数の問題ではないのだよと教えてくださったということです。
家康公も、梅ヶ島の大代の山で育った鷹での鷹狩に熱心だったそうですが、この鷹狩というのは、何とも奥の深いもので、素人にはわからないものなんですね。