2017年9月8日金曜日

徳川家康公の鷹は梅ヶ島生まれ

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。


安倍街道(県道29号線)を上って来て、梅ヶ島地区に入ったところ、梅ヶ島の小中学校があるところを左に上った先にある集落が、わさびと椎茸で有名な志村農園のある大代おおじろですが、徳川家康公の鷹がその大代生まれだったというお話です。

 大代(おおじろ)天神山のお林は天神社の境内から天神山にかけて12ヘクタール、徳川家康公は、ここに大鷹(熊鷹)の子を育て、「御巣鷹山」と定めて、樹木の伐採を禁止しました。 
 大鷹は春先に卵を二つないし三つ産み、それを温めて五月に孵化します。六月初旬のあざみの花の咲くころ、尾羽が3、4寸に伸びたところを、巣のまま下ろして、将軍家に献上するのであります。

以上、『史話と伝説 梅ヶ島物語』昭和57年志村孝一編著より抜粋しました。(原文を読みやすくなるように校正しています)

写真は、威風堂々という言葉を形にしたような徳川家康公鷹狩像。堤達男氏の作で、静岡市葵区の駿府城公園、本丸跡に立っています。

大代の鷹は、その後、三代将軍徳川家光公のころ(寛永3年=1626年)より正式に献上されるようになったとのことです。

徳川家康公が特に晩年にご執心だったという鷹狩、梅ヶ島とは切っても切れない関係だったんですね。