左が本物の「慶長大判」、右が「慶長大判パワーステッカー」
徳川家康公は、慶長6年(1601年)、全国に流通する通貨を発行しました。
金貨は、大判、小判、五両判、二分金、一分金、二朱金、一朱金の7種類でしたが、その中で一番大きいのが慶長大判です。
慶長大判は、表面に墨で「拾両後藤」と書かれています。家康公より早く、豊臣秀吉公の天正大判を造った後藤家によるものであるという意味で、後藤家は室町時代から江戸時代にかけての幕府御用達の彫金職でした。
後藤家には、小判の鋳造を手がけた後藤庄三郎家もあり、大判は後藤四郎兵衛家によるものです。織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公と仕えたそうです。
慶長大判は、44匁2分という重さで、秀吉公の天正大判とほぼ同じでした。
大判は10両なので、1枚1両の小判10枚分ということになりますが、大判の重さは小判7枚分ほどだったので、実際には小判7枚が大判1枚と交換されることが多かったそうです。あくまでも金本位制ですから、実際の目方がどうだったかが問題なんですね。
梅ヶ島温泉で現在開催している『濃い金運キャンペーン』では、この慶長大判と同じ大きさ、同じ形のステッカー「 慶長大判パワーステッカー」を、ご応募された皆さんに差し上げています。
家康公の猶子だった良純親王が、梅ヶ島温泉で病気を治された時に立てた神社、梅ヶ島温泉の湯之神社で、ステッカーを持った人の金運が上がりますようにと祈願したものですから、皆さんの金運アップに役立ってくれるかもしれません。
「 慶長大判パワーステッカー」を手に入れるには、梅ヶ島温泉の旅館民宿に泊まるなど、5千円以上のご利用をされ、安倍の大滝へ行って、携帯などで写真を撮って、旅館民宿にある「応募用紙」でご応募ください。
『濃い金運キャンペーン』は、本年11月30日まで、「パート2」を開催中です。
参考図書:岡本匡房著『エピソードで綴る 日本黄金史(江戸時代)』