静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
これは、梅ヶ島で明治のころから栽培されている「スジナシマメ」という豆です。
インゲンの仲間ですが、完熟したものは赤いかすり模様がついて、茹でると模様が消えます。
岐阜県の山県市では「桑の木豆」という名で知られていますが、昔そちらの方から梅ヶ島に伝えられたのかもしれませ...
2017年9月30日土曜日
2017年9月29日金曜日
聖一国師のお墓
2017年9月29日金曜日
静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
安倍街道(県道29号線)を梅ヶ島に向かって上ってくる途中、蕨野(わらびの)というところに医王山回春院というお寺があって、その山腹に、聖一国師(しょういちこくし)のお墓(写真)があります。
聖一国師(円爾)は鎌倉時代、13世紀初頭の建仁2年(1202年)、安倍川(あべかわ)最大の支流である藁科川(わらしながわ)の上流、栃沢(とちざわ)というところに生まれ、久能寺(くのうじ)などで学び、宋の国にも渡航した臨済宗の高僧です。
今の静岡市で生まれた聖一国師は、宋の国から仏教の経典とともにお茶の実を持って帰り、それを静岡市の足久保(あしくぼ)...
2017年9月24日日曜日
2017年9月22日金曜日
秋がそろそろやって来ます。
2017年9月22日金曜日

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
梅ヶ島温泉の地域内では、そろそろ葉っぱが色づきはじめてます。
といってもまだ9月。本当の見ごろはまだまだですから、どうか焦らないでください。
個人的な予想では、今年は10月下旬ごろからでしょうか?
いえいえ、いい加減なことを言うのはやめておきますね。責任取れませんか...
2017年9月17日日曜日
紀州で鷹狩を見てきた後藤庄三郎の話
2017年9月17日日曜日

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
きょうは『駿河土産』の中にある逸話を紹介したいと思います。
『駿河土産』は、1720年ごろに大道寺友山が書いたもので、徳川家康公の大御所時代を中心とする伝聞による逸話集です。
その中に、梅ヶ島などから産出した金を鋳造して慶長大判や小判を発行する金座の当主である後藤庄三郎が紀州の浅野左京大夫のところで見せてもらった鷹狩について家康公に報告した逸話があります。
浅野左京大夫幸長(よしなが)(肖像画は東京大学史料編纂所所蔵品)は、豊臣政権での五奉行の一人でしたが、関ヶ原の戦いでは家康公率いる東軍に属し、戦後、和歌山藩初代藩主として37万...
2017年9月14日木曜日
武田信玄公と梅ヶ島のこと
2017年9月14日木曜日
静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
梅ヶ島温泉は、昔から「信玄公の隠し湯」といわれるように、甲斐の国の武田信玄公の善政によって統治されていたことがあります。
信玄公は、永禄10年(1569年)に富士川、安倍川の両金山を手に入れて、甲州金と呼ばれた金貨を鋳造しています。
甲州金は、日本で初めて体系的に整備された貨幣制度であるといわれていますが、山梨県埋蔵文化財センター(山梨県立考古博物館)に見るように、甲斐の国には縄文時代はもちろん、さらにその前の石器時代から、豊かな文化が栄えていたということですから、この地に武田信玄公が登場して破竹の勢いを得たのも、太古からこの地には何か特別な力が働いているのかもしれません。
武田信玄公は、元亀3年(1572年)12月、三方ヶ原の戦いで日本最強の2万7千の軍を率いて徳川軍を破っていますが、翌元亀4年(1573年)4月12日には、京都への作戦の途上で病没してしまいました。享年53歳。
跡を継いだ武田勝頼公は、信玄公が亡くなった翌々年の天正3年(1575年)5月21日、対織田、徳川戦となった長篠の合戦で惨敗。「武田二十四将」のうち9人はすでに死亡していたそうですが、残る15人のうち7人までが長篠で討死してしまったといいます。
武田氏は滅亡ということになったのですが、ここ梅ヶ島、かつての本村や大代の地でも、徳川軍と武田軍が戦ったそうです。
織田信長公は徳川家康公に、武田家と縁のある者は絶滅させるように言われていたそうですが、家康公はそれに背き、折井、米倉、依田、三枝など、武田家臣の多くを、自分の領地である駿遠の地に逃れさせたといいます。
また勝頼公は、妹のお市どのを何としても逃れさせたいと考え、家臣の遠藤伝蔵の妻として、二人は梅ヶ島の十枚山下の成島というところの山中に隠れました。
二人はその後、安倍川西岸に芝地を拓いて新田とし、これが遠藤新田となったそうです。
* *
写真は、武田信玄公や勝頼公を祀った山梨県の武田神社です。
本稿は、『史話と伝説...
2017年9月11日月曜日
慶長大判のこと 『濃い金運キャンペーン』
2017年9月11日月曜日

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
左が本物の「慶長大判」、右が「慶長大判パワーステッカー」
徳川家康公は、慶長6年(1601年)、全国に流通する通貨を発行しました。
金貨は、大判、小判、五両判、二分金、一分金、二朱金、一朱金の7種類でしたが、その中で一番大きいのが慶長大判です。
慶長大判は、表面に墨で「拾両後藤」と書かれています。家康公より早く、豊臣秀吉公の天正大判を造った後藤家によるものであるという意味で、後藤家は室町時代から江戸時代にかけての幕府御用達の彫金職でした。
後藤家には、小判の鋳造を手がけた後藤庄三郎家もあり、大判は後藤四郎兵衛家によるものです。織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公と仕えたそうです。
慶長大判は、44匁2分という重さで、秀吉公の天正大判とほぼ同じでした。
大判は10両なので、1枚1両の小判10枚分ということになりますが、大判の重さは小判7枚分ほどだったので、実際には小判7枚が大判1枚と交換されることが多かったそうです。あくまでも金本位制ですから、実際の目方がどうだったかが問題なんですね。
梅ヶ島温泉で現在開催している『濃い金運キャンペーン』では、この慶長大判と同じ大きさ、同じ形のステッカー「...
2017年9月8日金曜日
徳川家康公の鷹は梅ヶ島生まれ
2017年9月8日金曜日

静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
安倍街道(県道29号線)を上って来て、梅ヶ島地区に入ったところ、梅ヶ島の小中学校があるところを左に上った先にある集落が、わさびと椎茸で有名な志村農園のある大代(おおじろ)ですが、徳川家康公の鷹がその大代生まれだったというお話です。
大代(おおじろ)天神山のお林は天神社の境内から天神山にかけて12ヘクタール、徳川家康公は、ここに大鷹(熊鷹)の子を育て、「御巣鷹山」と定めて、樹木の伐採を禁止しました。
大鷹は春先に卵を二つないし三つ産み、それを温めて五月に孵化します。六月初旬のあざみの花の咲くころ、尾羽が3、4寸に伸びたところを、巣のまま下ろして、将軍家に献上するのであります。
以上、『史話と伝説...
2017年9月6日水曜日
国民保養温泉地指定記念式典
2017年9月6日水曜日
静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
きょうは梅ヶ島地区センターで、環境省による梅ヶ島温泉郷の国民保養温泉地を受けての記念式典が行われました。
主催者や来賓の皆さん、そして静岡市の観光交流課の方から貴重なお話を聞くことができましたが、これから梅ヶ島温泉の知名度と、梅ヶ島温泉に対する評価を上げていくのは、大切な休暇を梅ヶ島で過ごされるお客さん、そのお客さんをもてなす私たち一人ひとりなんだなと、改めてそう思いました。
皆さんのご期待にこたられるよう、これからもがんばって参り...
2017年9月4日月曜日
超ど良い湯加減。梅ヶ島温泉の源泉
2017年9月4日月曜日
静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
きょうは、あらためて梅ヶ島温泉の源泉をチェックしてみましょう。
1700年前から人間に知られていたという梅ヶ島温泉の源泉は、温度が39度。神さまが調整してくれたという超ど良い湯加減です。
おゆのふるさと公園の階段を上って、湯之神社の裏手にある源泉洞窟「岩風呂」に来ると、硫黄のほのかな香りとともに、温かい温泉に触れることもできます。
「岩風呂」とか「穴風呂」とか呼ばれてますが、源泉というのは厳密には、これだけではなくて、この山全体なんですね。
この岩風呂の周りにも、お湯がほとばしってますし、ここの右手に流れる沢の温泉湯滝のあちこち...
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