静岡市の秘境の温泉、濃い温泉の梅ヶ島温泉です。
大正2年(西暦1913年)に編集された『安倍郡梅ヶ島村誌』より、明治初期までの梅ヶ島の交通について記された箇所がありますので、ご紹介します。
明治十七年以前の交通は前章第五節に述べたる如く凡ての取引は主として甲州に於いて行われ静岡との取引は少なくかりし故自然甲州に通ずるの道は当時時々修繕を加ふるをもって比較的良好なりき、これに反し大河内村を経て静岡に通ずるの道は不完全極まるものにて甚だ困難せり、当時大河内村より梅ヶ島本村に通ずる細道三道あり一は西狩り(狩りとは当地方言にして山岳の傾斜地をいう)と称し大河内村渡より川を渡りて暫時山に登りて川の右岸山の中腹に添いて或は登り或は下りて以て入島に達す、この里程約三里半、一は中道と称し大河内村有東本村下より瀬戸に出で大河内村左岸山の山腹を経て藤代部落入り口に達し入島に向かい側に下りて関の沢に通ずるものこの里程約三里、一は大狩りと称し同村有東木より山を越して藤代部落の奥に下り又山を越えて関の沢部落中の段に通ずるものこの里程約三里十町これなり(詳細は道路沿革図にあり)この三道は非常に迂回にして加ふるに急坂を上下する故荷物等のある場合には頗る困難を極め且つ時間を費やすことの大なるを以て水流の少なき時などは大河内村渡本より直ちに河原に出で川又川を渡りて以て瀬戸に来るそれより上流は当地方にて困難を以て有名なる瀬戸四十八瀬と称し水流を渡るに幾多の瀬を渡らざるべからず斯くして漸く入島に達せしというその困難想像するに餘りあり。
読みにくいので、要約します。
明治十七年以前には、安倍川下流の静岡市との交通はとても不便で、山また山を登ったり下ったり、河原の瀬をなんとか歩いたりという有様で、道路というほどのものはなかったそうです。
それに対して、今の安倍峠を越える山梨側との交通は、道路もあって楽だったということです。
それというのも、梅ヶ島は行政上、甲州側に属していたからということですね。